心の一致

 今日は祝日だ。家の母はなんかかんかやっている。高齢でもなんかかんかやらない時が済まないのだろう。昔の人だから家の仕事をあれやrこれやりしてきている。今日はマットを干した。もちろん重たいので自分が干した。でもどうも何を思っているのかああでもないこうでもないと言ってしまいには自分がやると言ってしまう。私としては私のやり方が気に入らないのか母のやり方を私はどうも理解できない。しまいには自分がやると言って自分のやり方で調整をする。その辺は母と私は心が一致しないのか正確までも合わないのかと深く考えてしまう。親子なのにそれでいいというのがほとんどないので心までも一致しない不思議な親子なのかなと思ってしまう。人間は一人一人人格を持っている。それがどうも尊重されていないようにも思う。母は家をこれまで一人で切り回しをしてきた。だから私は母に対しては何も言えない。自分の方から母の言うことを聞き入れないといけない。でもそれがなかなかまく行かない。母の考え方と私の考え方は全く違う。そこに深い溝があるのかもしれない。母は高齢だし何とか話を聞き入れたいと思っている。しかしそれがなかなかうまくいかないのだ。私は母が高齢だからこの頃いろいろ聞くようになってきたがそれが遅かったのかもしれない。むしろ遅かったのかもしれない。これから私はマットを取り入れたら買い物に行こうと思っている。タマゴやコロッケがないからだ。今自分にできることはそのぐらいだ。すぐに何だかわからないがなんだかんだ言われる。その辺が母の気持ちを理解できないところなのかもしれない。心の一致とは何だろう。私の心と母の心の一致がなかなかうまくいかない。だんだん母も高齢になると自分のやり方を強く要求してくるだろうと私は思う。それに今度は私は対応しなければならない。母にとっては難しくないようでも私には難しい。明日は仕事が指定休で仕事が休みだ。またいろいろと母は私に要求をしてくるだろう。私はそれにいろいろと対策を練らないといけない。とにかく難しい。家庭の中をうまくやるというのはこんなに難しいとは夢にも思ってはいなかった。親と一緒にいるとそれが難しい。私は思うのだがこんな環境では別々にいた方がいいのかなと強く思ったりする。母がたとえ高齢でもその辺を割り切らないといけないのかなと思ったりして考え込む。どうしたらいいのだろう。どのようにして家の中で親子二人でやって行けばいいのだろうと考え込んでしまう。母も私も体が悪い。そんな親子が阿吽の呼吸すらできずにどうして生きて行けばいいのだろう。どんどんどんどん難問がここに来て出てきた。私は時々思うが母の気持ちの理解力が欠けているのかなとも思っている。つまり愛情だ。愛する気持ちがなければ当然心の一致はない。お互いの愛情表現をもっともっと表に出さなければいけないのかなと思う。もう三時を回ってしまった。その辺あたりをどのようにしていくかがまた大きな問題になっていくだろう。